雑記ログ 2026年1月
「しんのすけ、あけましておめでとうございますを禁止する。」と野原ひろしが言い出したとしても私には否定する論拠を一切持ち合わせていません。実際に何がおめでたいのかはっきり分からないからです。しかし、正月は尚必要だと感じます。古典が未だなくならないように、こういった伝統は国民意識を育て集団への帰属を促進するのです。ある人は言いました、「民族の誇りほど虚しい誇りはない」と。しかし、もはや民族しか誇れる物がない人々への救いとして最後まで誇れる物もまた民族なのです。私は私をこんなザマに仕上げた京都を誇ります。それでは。 2026/01/31 ・自分の弱さは恥じて他人の弱さには寄り添う、私もそんな強さがほしいな ・なんか意味そのままにできる言い換えないかなー ・現実の政治の話は控えたかったけど特例で言いたい事があって、私仏教徒じゃないのに仏教に深く共感してるから中道って考え方好きで創作のキャラ名にもしようとしてたんですけどなんか政党の名前にされるとな〜って感じ。しかも全然中道的な政党じゃないし。 ・そうなると著作権は自分が見つけた恐竜に自分の名前を付けるようなものか。フタバサウルスみたいな。でも恐竜は誰のものでもないからフタバサウルスを見つけた双葉さんが今後フタバサウルス見つける度に私にお金払ってください!って言うのは変じゃないかな? ・創作者は自分が創作ではなく学問を探究してるのと同じ事をしてる事実に気づくべき!! 2026/01/30 ・もちろん、創造性と芸術性はまた別の物。例え1000年前に既に存在が確定した文字列であっても、そこに文学を見出し記録したならそれは文芸。 ・提供された物の組み合わせを自分で考えたからってそれが創造性と直結しないだろうという指摘。バベルの図書館のように発生し得る全てのデジタルピクセルの配色パターンをランダムで出力したもののいずれかとこれから生み出される全てのデジタル画像は一致しており、その配色パターン自体はすでに完成しており今創作者とし名乗っている者は自らの手で作るのではなくそれを採掘しているに過ぎないのかもしれない。あなたが発見した恐竜の骨はあなたではない。あなたは恐竜をたくさん見つけた人であって恐竜を生み出した人ではない。 ・自分らしさを演出する定番アイテムとかいう露骨な矛盾に気づけないのだ現代の猿共は。 ・組み合わせは選択...